やめるを選ぶこと

日記

最近しゅん↓とする時は米津玄師を聴いて切り替えることにしていますAÿâです。(だいたい世間の流行とはワンテンポずれています)

ここ数カ月は初めての場所に参加することが多く(イベントボランティアや講習会など)、毎回の初めましてのやりとりやリアクションにそろそろ気力が減ってきたのを感じて、人との繋がりの意味も少しづつ私の中で変化し始めてしまって、これはもう止めて次の時期に移ろうかなと思っている次第です。

なんでしょう。1つ前に書いた記事でも容量オーバーという言葉を使ったのですが、「私の中にスペースがないと入らない」という、文字にすると当たり前のことを最近ひしひし感じています。余白がないとわくわくできない、疲れて”センサー(直感)が働かない”といったところ?かな。でも今はいっぱいいっぱいになる前にそのことに気付けているので、「自分の選んだもの」の中から更に自分で選択・厳選して「やめる」ことも勇気を出して選べるようになってきました。

ただの私の性格だと思いますが、例えば初対面3人で仲良くなって時間があったら3人でお茶に行くのは良いきっかけと思って流れに乗るタイプです。何人かいて2件目みんなが行くと言えば行くでしょうし、その時間を共有してこそ聞ける話や新しい発見があると期待するのです。そしてもちろんその期待は外れて「自分らしく過ごせなかったという失敗」に感じることもあります。そして段々と「今」「この時間」をどう使うかは私が決めて私が選んでいいのだということを学習してきたように思います。瞬時に選択するセンサーみたいなものが反応するようになってきたということかもしれません。だから参加しないも選択する。(もちろんわくわくしたらどんどん参加します◎)

当たり前ですがこれに正解はありませんし、自分が選ばなかった時間を体験することはできません。でもだからこそ自分はコレが大事という芯をブレずに持っていたいと思うのです。こっちを正解にする!くらいの。

これは初対面の人に同じ期間・全く違ったコミュニティでたくさん会ってきたからこそ、今の自分にとって心地良い関係を築けそうな人や無理をせずにお話しが進む相手を、相手の私に対する視線、表情などから感じ取れるようになったということかなと思います。

ちなみにほぼほぼ出会っているのは女性です。色んな女性がいて私よりすごく年下もすごく年上も、第一印象と話した印象と数時間後もしくは数日後の印象を掛け合わせて変わっていくのが面白いです。

だから貴重な期間でした(体力が必要ということもわかりました)。やっぱり思うように行動してきてよかったです^^。本当に想像している間にはわかりません。例え行動した先でやっぱり違ったと何十回何百回と思うことになるのだとしても想像と実際の行動は0と1の違いがあり、0には何をかけても0です。

私の時間も私の気力も有限なので、やっぱり好きな人たちと心地よい時間を少しでも多く過ごしていたい。そんな日々の中では報われないこともありますし、自分だって選択している分逆に相手から縁がないと思われてしまうことだってありますが、(しゅん↓としますが)それももうタイミングや運に任せて「執着だけはしない、誰かの邪魔はしない」を大切にして距離感や存在を忘れてもらうことを心掛けています。その方が自分も切り替えられますし。誰に見せびらかすでもなく「今」自分が幸せであることが「今の正解」かなと。そして常に今私が感じていることは世の中のたったヒトカケラなのだと、角度を変えるだけで違う意見が山ほど出てくるのだと注意しながら考えていかなくてはと思います。

(でもここに書くのは私の目線なので、私の角度から書きました。きっと読む方にとっては全然分かってない、間違っていると言われてしまっても仕方ないです。)

ありがとうございました!

Aÿâ♡

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