春、はじまりました。

日記
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一昨日(2/25)仕事中に春独特の温度を感じて、これは「春」だなと確信しました。もちろん私にとっての「春」のはじまりですが(o^―^o)みなさんはいかがお過ごしですか?

春は大好きな季節です。
ですが今年は春を感じる前に悲劇に襲われました。花粉というアレルギーによって顔中すごくブツブツが出来て肌荒れしております。泣

どうしようもないのでここ数日マスクが外せませんでした。泣

酷くなる一方の時は一瞬焦りましたが(最初は原因がわからず)今回予想外なことが身に起こって(実際ほんとうに人に見せられないまでになったのですが)思ったのは、

「だからって不幸じゃないなって実感できた」ことです。

少し前から幸せや不幸せとは何ぞや、みたいなことを考えることが時々あって。

わたしには「不幸せ」の正体がまだわからないのですが

それはわたしが生まれてずっと幸せだからかもしれませんが、
誰が目にしてもおかしくない場所(blog)に書いているので
わたしが知らない現実も数えきれない程あって、もしその「現実」を知ったら
わたしもどう感じるかわかりませんが

わたしの、わたしが選んだ人生の中では

不幸せはおばけのようなものだなぁと。怖がれば見えるかもしれないし、違うものでもそう見えてしまったり、逆に実際に存在してもわたしには見えないから「ない」と同じだったり。

なんでこんな話をしているのかと言うと、ずっとなんとなく心のどこかに魚の骨のごとくひっかかっていることがあって

中学生までさかのぼるのですが、中学3年生、卒業間近。サイン帳が流行っていて。(個人のプロフィールやメッセージを記念に書くやつ。今もみんな交換して書くのかな?)だいたいどんなサイン帳にも将来の夢は?みたいな質問が定番にあって。

わたしは具体的なものがなかったから(卒業したらみんなと離れて東京だったし、将来なんて未知でした)
「幸せになっていますように♡」みたいに書いてて。

それがずっとひっかかってました。

すごく他力本願!苦笑
そしてそれは「将来ではなく今この瞬間、この今の連続が作り出すもの」であり
将来に夢見ることではないのかなと。

もちろん未来の自分も幸せを感じるわたしのままでいてほしい。

だから大人になってよく考える。

「幸せを願うって、結局何を願っているのだろう。」

願いはたくさんあるのです。そしてわたしの中には既にたくさんのものが「ある」のです。

奈良に来るまでは、日常の中の小さな幸せを大切にしていて。

でも、奈良に来たら、まだ自分の見たことのない景色を見たくて、
叶うか叶わないかギリギリのところを「叶え」たくて
可能性は自分の心次第なのかなと、想像次第なのかなと思っていて。

常に実験中—。

だから最近ネガティブなことがあるたび、それがわたしを不幸にするかどうか
自分自身に質問して、うん、違うな、と確認します。

「だからって私の幸せと関係ない」と。

単純にそう片付けるとそれだけのものになる。

だからマスクを取るたび自分自身に驚愕する顔の日も、わたしを不幸せにするわけじゃない。

春は1日1日が大切だからこぼさないように全力で向かい合いたいと思います。

(ちなみに薬が効いて近々マスクも取れそうです)

きょうも素敵な春の一日になりますように(o^―^o)

ありがとうございました。Aÿâ♡

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